代表者挨拶
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日本の損保会社での経歴
代表の廣岡雅章です。私の損保業務との関わりは、同志社大学を卒業後、学生時代は全く勉強もスポーツもしていなかったため、やむを得ず親のコネで大手損保会社(日本火災海上保険)に1989年(昭和63年)4月就職したことから始まります。
広島市、山口県徳山市(現周南市)、三重県津市での業務部及び、代理店営業(代理店を介した間接販売)を経験します。そこで、直接顧客に販売できない代理店営業のもどかしさを感じることになります。そして、何より、本人の実力ではなく、上司の力で将来が決まっていく、派閥型の社風に限界を感じ転職を決意します。
人材紹介会社によるAIG保険会社の役員の迫力に圧倒され、転職することとなりました。
外業系損保会社での経歴
AIU保険会社で感動したのは、日本社では、輝いて見えなかった「個人代理店」が「プロデューサー」という位置付けで、メーカー側の保険会社と対等にディスカッションをして、それぞれ独自の分別で成果を上げている点でした。
一方メーカー側の保険会社の社員としては、日本社の社員より更に自由度が低く、上からのマニュアル通りに代理店を指導するという、個人の裁量が全くない間接型営業の完成型に近いものでした。
当時、29歳の若い私は、わずか1年程で団体型割引を活用した学生保険を全国的に販売したい夢に挑戦したくなりました。
地元奈良市で代理店創業
大きな夢を実現するにも充分な資産の準備もなかったため地元の奈良市の実家に間借りして、営業を開始しました。平成6年(1994年)11月1日に創業しました。損保・生保の保険代理店として、生活費を稼ぎながら奈良県全体の高校生に学生保険を通信販売することに挑戦しました。
特に、当時の東京海上社の若き社員の協力のもと平成7年の3月には、県内の公立校の大半で募集を開始することができました。
予定の40%程度の成果を上げることができ、1年目としては大成果を収めることができました。しかし、大どんでん返しが4月に起こりました。当時のAIU保険会社の奈良支店長が東京海上社の社員に協力を申し入れていたのですが、無視していたのです。激怒したAIU社の奈良支店長の本プロジェクトの解体運動が約2か月間続き、本プロジェクトは消滅してしまったのです。
ツメの甘さを痛感した出来事でしたが、営業の醍醐味と面白さも体験しました。
往復ハガキによるダイレクトマーケティング
大手損害保険会社を退職し、通信販売に失敗した私は、建設業者限定でダイレクトマーケティングに挑戦しました。これが始まりとなり、弊社の現在の「建設業者様専用総合保険見積もりセンター」の基礎が出来上がりました。
乗合代理店への挑戦 (20年前から挑戦しています)
顧客指向の代理店経営に乗合代理店への挑戦は避けては通れない道であると言えます。
しかし、損保代理店にとっては非常に高いハードルです。
保険料の自由化前に基盤を確立している歴史の長い代理店からすれば、利益率の大幅低下になりますし、メーカー側損保会社から顧客の提供を受けた歴史があります。
弊社の場合も短期的には、収益率の低下は避けられませんが、将来的に顧客指向の代理店が選ばれるのは間違いありません。まして、弊社はメーカー側損保会社とは異なる独自の営業戦略(いわゆる逆張り戦略)で生き残ってきました。乗合を妨害される理由は有りませんが、数々のメーカー側損保会社と戦い、ようやく現在の体制を確立することができました。
更に新人2名の加入により、より充実した乗合体制を構築して行く所存です。
来店型保険代理店への挑戦
弊社は、核家族化の進行とインターネットの普及による情報の肥大化に伴い、有益な情報を選別する従来の訪問型ではない来店型の保険サロンの必要性に着目しておりました。一時は、2店舗を運営しておりましたが10年程前よりJR奈良駅前店に集約し、保険の相談のみならず、提携の高島弁護士による「交通事故相談」「法律相談」も定期的に行っております。
更に、コロナを境にユーチューブにて弁護士と共同で「交通事故相談チャンネル」を開設いたします。